現在開催中の箕輪千絵子 個展「救済 -地獄の蜘蛛の糸」。
本展では、「魔除け」と「救済」をテーマに、鬼子母神、地獄太夫、牛鬼、猫又、仏など、恐れの対象でありながら、守護や救いの象徴でもある存在をモチーフとした作品を展示されています。
インタビューでは、異形の存在に惹かれる理由や、本展のテーマに込めた思い、絵を通して伝えたいことなど、制作の背景にあるさまざまなお話を伺いました。
箕輪千絵子
1986年奈良県生まれ。
2009年武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業、2011年同大学大学院造形研究科版画コース修了。
件(くだん)や獣人など、人ならざるものや異形の存在をモチーフに、銅版画、水彩、鉛筆などさまざまな技法を用いて制作。トーキョーワンダーウォール、浜口陽三生誕百年記念銅版画大賞展、バンコク国際版画トリエンナーレなどに出品。個展・グループ展多数。鹿沼市立川上澄生美術館などに作品が収蔵されている。
Ⅰ. 異形の存在を描くことについて
これまでクダンや獣人など、さまざまな異形の存在を描いていらっしゃいますが、こうしたモチーフを描き始めたきっかけは何だったのでしょうか?
見えないけどいるような気がする、そういうものがどんな形をしているのか想像しながら描いています。
私は田舎で生まれ育ったのですが、家は四方を山に囲まれた場所にありました。ひっそりと暮らしている隠れ里のようなところでした。夜になると山は空よりも黒く、静かなのに何かが蠢いているようなとても恐しいものに見えました。「あの黒の中には獣や虫だけでなく、何か異形のものがいるに違いない」とずっと思っていました。
どのようなときに「これを描きたい」と思うのでしょうか。
「そうか、これはそういうことだったのか」という自分なりの理解ができたときに絵を描きます。興味深いモチーフだとしても、自分の中で納得していないものは絵にできません。
惹かれるモチーフは、相反する性質を合わせ持つ存在です。クダンは予言をする神秘的な妖怪のようでなぜか俗っぽい。牛鬼や鬼子母神さまも、恐ろしさと、魔除けという人を助けてくれる性質を持つ。清濁をグルグルと混ぜて固めたような存在が好きなのです。

「魔除け」や「救済」というテーマに取り組もうと思った背景には、どのような考えがありましたか?
子が生まれてから、我が子を理不尽なことや不幸なできごとから守りたいと強く思うようになり、子を生かすためなら何をするかわからない凶暴性と狂気が自分の中にあることに気付きました。
だから、せめて目に見えない何かから子を守る「魔除け」のような絵を描こうと思いました。
そして、何かを得ることは失う恐ろしさを知ることでもあり、子を失うことは想像しただけでも気が狂いそうなほど辛く悲しいことだと気付きました。だからこそ、その悲しみや苦しみから救わなければと思ったのです。
Ⅱ. 今回の個展について
今回の個展タイトル「救済 -地獄の蜘蛛の糸-」には、どのような思いを込めていますか?
お寺で仏像の前に立ったとき、彫刻としての美しさや魅力を超えた何かを感じることがあります。その何かが「救い」なのかもしれない、そして自分の作品でも人を救いたいと思いました。そういった思いを込めた展覧会タイトルです。
鬼子母神、地獄太夫、牛鬼、猫又、仏という5つのモチーフについては、どのように選んだのでしょうか?
言葉にするのがとても難しいのですが、感覚的には選んだというより選ばれたという気持ちで描いています。

伝承や物語に登場する存在を描くとき、元になっている伝承や資料をどのように参考にし、そこにご自身のイメージをどのように加えていくのでしょうか?
ぼんやりとしたイメージが先にあり、そのイメージと資料を繋げていくように描いています。
Ⅲ.制作について
制作のアイデアは、日常のどのようなところから生まれることが多いですか?
1人でぼんやりしているときにふと思いつくことが多いです。歩いている時、自転車を漕いでいる時、電車に乗っている時、お風呂に入っている時にイメージがぱっと降ってきます。夢で見たものを描くこともあります。
作品の構想から完成まで、普段どのようなプロセスで制作していますか?
描きたいテーマやモチーフから、形や構図を決めていきます。エスキースを何枚か描く中で、最もイメージに近いものを参考に下絵を完成させます。
下絵ができたら、ひたすら描いていくだけです。描きながら形を変えていくこともよくあります。
画面構成を考える際に、意識していることはありますか?
モチーフ同士の関係性によって立ち位置を決めることがあります。自然の理に反することは、絵の中でもしないと決めています。
銅版画、水彩、鉛筆など、複数の技法を使い分けていますが、どのような基準で技法を選んでいますか? 技法から新しいイメージが生まれることもありますか?
迫力のある作品にしたいときは必ず銅版画か鉛筆画のモノクロ作品にします。
技法からイメージが生まれることはあまりありません。イメージが先にあります。ぼんやりとしたイメージを引き寄せる際に技法の力を借りることがあります。
銅版画、水彩、鉛筆など、技法によって制作するときの感覚にはどのような違いがありますか?
先端の硬さの違いが大きいです。
銅版画はニードルを使用するので最も先端が硬く、自身の神経と真っ直ぐに繋がる感覚があります。
水彩は筆を使うので先端が柔らかく、コントロールして使用しなければなりません。線が思うように引けないこともあります。
鉛筆画はその中間のイメージです。
今回の展示作品のなかで、特に印象に残っている作品はありますか? その理由も教えてください。
「千」というタイトルの鬼子母神さまを描いた作品です。今回の個展で1番表現したかった「子を守る魔除けの鬼子母神さま」を描けたと思いました。タイトルの「千」という文字は自分の名前にも入っていて、サインも「千」の字を書いています。私の名前の千はご先祖様から受け継いだ漢字でもあり、「引き継いで、守り、繋げていく」イメージなのです。

Ⅳ.これまでとこれから
これまで制作を続けてこられたなかで、制作に対する考え方や向き合い方に変化はありますか?
元々はずっと自分のために絵を描いていました。「誰かのために絵を描くのはなんだか烏滸がましいのでは?」という思いがあったのです。今思うと少し自意識過剰気味だったなと思います。
今は自分以外の人のために絵を描いています。私の描いた絵が、どこかで誰かを救うこともあるかもしれないと思いながら制作を続けています。
不思議なのですが、自分のために絵を描くよりも誰かのために絵を描く方がずっとずっと楽しいのです。
これまで作品をつくるうえで、影響を受けた作家や作品、コンテンツがあれば教えてください。
銅版画を始めたきっかけとなった作家はホルスト・ヤンセンです。銅版画の質感と緻密でありながら感情を荒々しく表現した線描に惹かれました。
「絵でできることは何なのか」という問いについて、何か新しく見えてきたことはありますか?
目に見えないものや、それを表現する言葉がないものを、どうやって伝えればいいのだろうと思うことがあります。そして、絵には(芸術には、と言ってもいいかもしれません)その可能性が詰まっているような気がしています。
「思い」や「願い」といった目に見えないものが作品に宿り、見た人に伝わると嬉しいです。

これから描いてみたいものや、やってみたい表現があれば教えてください。
曼荼羅を描きたいです。そして掛け軸にしたいです。
今回初めて作品を見る方に、「ここを見てもらいたい」と思うポイントを教えてください。
画像だけでは伝わらない、実物が持つエネルギーのようなものを体感してほしいなと思います。